「デマに惑わされる人」の4つの特徴⑴

こういう人は詐欺にあうし、迷信をすぐ信じて不幸になる

今、コロナが世界的に収束に向かっている中、日本はオリンピックの最中、なかなかワクチンが普及せず、厳しい状況ですね。

そんな中でも、選手の皆さんには頑張って頂きたいと思う限りです。

ただ、アメリカではほとんど、そういうニュースが入ってこないので、あまり話題になってないのか、私が疎いだけなのか、わかりませんが・・・

今回のコロナでもそうですが、世の中が不安定になってくると、必ずいろんなデマが飛び交います。

最近はネット、SNSの普及で、特にその傾向が強くなってきていますね。

これも、仏教や浄土真宗の教え的にも、人間の心の姿を教えてくれるのではないかと思いまして、記事を書いています。

日本は地震大国と言われていますが、地震以外の災害も毎年のように発生していますので、その度に、デマ、陰謀説などの拡散が増えています。

実は、デマに惑わされる人と、詐欺にあいやすい人とは共通点がある、と言われています。

それはそのまま、迷信をすぐ信じてしまう傾向もあるのではないかと思っています。

まずその共通点4つですが、以下の通りです。

  • ①自分だけは特別という考えを持っている
  • ②とにかく不安を感じている
  • ③基礎知識が不足している
  • ④単純すぎる現実認識をしている

まず、

1、自分だけは特別、という考えを持っている、から解説します。

 例えば、

「◯月◯日に、大きな地震が発生する」というデマが拡散されることがあります。

 そういう情報を拡散する人の心理は、「自分だけが特別に知った情報だから、拡散してあげよう』という気持ちに囚われていると言われます。

 そもそも一般に報道されていない正しい情報を自分だけが、特別に手に入れられるでしょうか・

 そんな立場にいる人が、ネットで名前も明かさず、情報発信していること自体が怪しいですよね。

「自分だけが特別は情報を入手できる」と思っていると、例えば

『この株は近々上場の予定があって、上場すると数倍になりますよ。

 普通は手に入らないけれど、あなただけに、特別に譲渡します』

 こんな言葉に騙されるかもしれない、とのことです。

「そんなの俺は信じない」と思うかもしれませんが、人間は自分が特別だと言われることに弱いものだそうです。

 これを、迷信を信じる心に置き換えると、神や先祖、占いや姓名判断などで運命が決まっている、と思ってしまうことに当たるように思います。

 仏教では、自業自得(じごうじとく)と言って、私たち人間の運命は全て自分のやった行為が生み出した結果だと教えます。

「そんなの当然だ」と思うかもしれませんが、じゃあ、

(1)受験前になると学生が、神社に合格祈願に行くのはどうしてでしょうか?

(2)正月になると、ほぼ全ての国民が、初詣に行くのは?

(3)毎朝テレビの星占いを見て一喜一憂している人はいませんか?

(4)『開運の印鑑』とか『世にも不思議なお墓の物語』などのでっかい新聞広告を見たことありませんか?

などなど、こういう話はあげればキリがありませんね。

 自分が受ける運命は全て自分のやった行為が原因、とわかっていたら、どうしてこんなのを信じるのでしょうか。

 やっぱり、神を信じたり、神社に参ったり、占いの結果がよかったら、努力をさしてしなくても、自分だけには特別良い結果が来るんじゃないか、と思ってしまっているからではないでしょうか。

 そして、悪い結果が来ると「運が悪かっただけ」と、自分の言動を反省しない心が、迷信を生み出してしまうのだと思います。

 戦国武将で有名な武田信玄のお話を紹介して今日は終わります。

武田信玄、強さの秘密1
「運が悪かった」と嘆いたら、進歩はない
  その時、その時、反省してこそ未来が開ける

 武田信玄は、なぜ、強かったのか。
 その秘密を解く鍵が、次の言葉の中にある。

「負けるはずがないと思っていた戦に負けたり、滅びるはずがないと思っていた家が滅びたりすると、人は皆、天命(運)だという。
 だが、わしは天命だとは思わない。それは皆、やり方が悪かったからである。やり方さえよくすれば、負けるはずがなかろう」(名将言行録)

 思いがけない事態が起きると、「運が悪かった」と嘆く者ばかりだ。
 しかし信玄は、これを否定する。
「運」「不運」で片付けてしまっては、進歩がないからである。
 どんな結果にも、必ず原因がある。
 悪い結果が起きたならば、その時、その時、きちんと反省し、改める努力をしてこそ、未来が開けていく。これが信玄のモットーだった。

 信玄が二十一歳で家督を継いだころ、武田家は家臣の団結が弱く、戦国の世で、生き残れる可能性は少なかった。
 その原因は何か。
 先代の父・信虎が、家臣の意見を聞こうとせず、独断専行で、粗暴な振る舞いが多かったからである。諫言したり、ミスを犯したりした家臣を、怒りに任せて五十人も手討ちにしたというから、君臣の心が一つになるはずがない。
 信玄は、武田家の方針をガラリと変えた。
 軍事や内政、何らかの方針を決める際には、家臣を集めてじゅうぶんに意見を言わせ、その後に、断を下すことにした。意見を言った以上、家臣たちにも自覚と責任感が高まっていく。
 さらに家臣が守るべき規律「信玄家法」を制定した。
 戦への備えだけでなく、土地の売買、喧嘩両成敗に至るまで詳しく規定し、勝手な行動を戒めた。
 注目すべきは、この第五十五条に、
「もし信玄の言動に問題があるならば、身分を問わず、誰でも投書してもらいたい。必ず改める」
と宣言していることである。
 この項目がいかに重要か、信玄は、晩年に、次のように語っている。
「いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則など、あってなきがごとしである。
 人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たなければならない。
 自慢話になってしまうが、わしは若年の悪事を反省し、日々の言動を改めたからこそ、家臣から信頼されるようになった。その結果、わが采配が全軍に徹底するようになり、甲斐一国しかなかった領土が、近隣諸国へ大きく広がったのである」(名将言行録)

 鉄の団結を誇った武田軍の強さは、ここから生まれていたのである。
 信玄は、生涯に、七十二回、戦った。
 そのうち敗北は、わずか三回。
 まさに戦国最強の軍団を作り上げたのであった。

(参照『まっすぐな生き方』1万年堂出版発行)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました