今日は、自分の姿を知る、ということと、幸福との関係について話をしました。
幸せになりたいなら、自分の姿を知らなければならない、と、よく言われますが、なぜなのか、わかっている人がどれほどあるでしょうか。
仏教では、苦しみの原因は、死んだらどうなるかわからない心、無明の闇である、と教えられています。
なぜなのか、ということを、以下の4段階に分けて理解するとわかりやすいです。
(1)人間は未来を考えて生きている
人間とは『考える葦である』とパスカルは言いました。
人間は動物に比べていろんな面で劣っています。
オリンピックでいくら100メートルを、9秒台で走っても、ジャングルとヒョウやチーターにはかないません。かなり鈍足です。
水泳でいくら早く泳ぐ選手でも、マグロやカジキに比べれば遅いものです。
目がよく見える、といっても、空を飛んでいるワシやトンビにはかないません。
お相撲さんがいくら力もちだといっても、ゴリラやゾウなどにはとても勝ち目はありません。
自然界では人間は弱い葦のようなものですが、考えることができます。
では何を考えることができるから、人間は優れているのか、
それは『未来』です。先のことを考えることができるのが、人間の唯一にして最大の特権なのです。
(2)未来と現在との関係
ではどうして人間は未来を考えるのか?
幸せになりたいからです。
今の気持ちよさだけを追求するのが人間ではありません。
逆に今しか考えていない人を、刹那主義、とか快楽主義、と言います。
今、少々我慢しても、未来に楽しいことがあると喜べます。
今が楽しくても、未来に苦しいことがあると、憂鬱になります。
1週間後に大きな手術がある、となると、今から心配です。
逆に、1週間後に楽しい旅行に行けるとなると、今試験で苦しくても、心は明るくなります。
だから、人間が幸せになるには、未来を明るくしなければなりません。
一生懸命仕事をするのも、老後に備えて年金を蓄えるのも、投資をしてお金を増やすのも、みんな未来のためです。
(3)100%の未来は?
しかし、結婚する、とか、就職する、または老後、という未来は、100%起こる未来ではありません。
その前に死んでしまえば、結婚せずに終わる人もあれば、老後を迎えない人もあります。
もし、老後を迎えずに死んでしまえば、老後のためにやってきた努力は苦労はみんな無駄になります。
私たちは無駄になる苦労はしたくありませんね。
もちろん、老後はあるかもしれないので、全く無駄ではありませんが、では、100%確実な未来は何か?
結論を急ぎましょう。
それは『必ず死ぬ』という未来です。
そして死んだらどうなるのか、誰もはっきりしている人がありません。
これが、死んだらどうなるか、わからない心の病、と言われます。
この病を治して、未来永遠の幸せになることが、人生の目的である、と仏教では教えられています。
(4)未来を知るには?
未来を知るには、現在を知らなければなりません。
『未来の結果を知りたければ、現在の原因を見よ』(因果経・お釈迦様のお言葉)
です。
『汝自身を知れ』
『敵を知り、己を知れば100戦して危うからず』(孫氏の兵法)
と昔から言われている真実ですね。
コメント