『親鸞には弟子一人もいない』2021/10/17(日)

今日は、毎週日曜日にやっているテンプルでの勉強会の日でした。
(最近投稿が少し遅れがちになっております。済みません)

報恩講で、歎異抄第6章の

『親鸞は弟子一人も持たず候』

のお言葉について解説をしました。

親鸞聖人に、弟子と言われる方があったのは、歴史上明らかなことです。

関東の二十四輩などが有名です。
唯円房、性信房、明法房、真仏房などがあります。

ではどうして、親鸞聖人は、弟子一人もいない、と言われたのか、
それは、親鸞聖人の強く自覚からです。

阿弥陀仏に救われて、

いずれの行も及び難き親鸞、地獄は一定すみか(歎異抄第2章)

さるべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし(歎異抄)

と知らされた親鸞聖人は、自分は弟子を持てるようなものではない、と知らされておられたのです。

また、上記の弟子たちが、仏教を聞き、親鸞の弟子となり、阿弥陀仏に救われたのも、親鸞が導いたのなら、弟子、とも言えるだろうが、ひとえに弥陀の一人働きであったことも、同時にハッキリしておられましたので

『親鸞は、弟子一人も持たず候』

と言われたのです。

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