今日は、毎週日曜日にやっているテンプルでの勉強会の日でした。
(最近投稿が少し遅れがちになっております。済みません)
報恩講で、歎異抄第6章の
『親鸞は弟子一人も持たず候』
のお言葉について解説をしました。
親鸞聖人に、弟子と言われる方があったのは、歴史上明らかなことです。
関東の二十四輩などが有名です。
唯円房、性信房、明法房、真仏房などがあります。
ではどうして、親鸞聖人は、弟子一人もいない、と言われたのか、
それは、親鸞聖人の強く自覚からです。
阿弥陀仏に救われて、
いずれの行も及び難き親鸞、地獄は一定すみか(歎異抄第2章)
さるべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし(歎異抄)
と知らされた親鸞聖人は、自分は弟子を持てるようなものではない、と知らされておられたのです。
また、上記の弟子たちが、仏教を聞き、親鸞の弟子となり、阿弥陀仏に救われたのも、親鸞が導いたのなら、弟子、とも言えるだろうが、ひとえに弥陀の一人働きであったことも、同時にハッキリしておられましたので
と言われたのです。
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