ウィルスミスのビンタ事件について

ウィル・スミスの「平手打ち事件」で、日本人が見落としている「重要な論点」(池田 純一) @gendai_biz
3月27日の第94回アカデミー賞授賞式にて起こった、ウィル・スミスの「平手打ち事件」がまだまだ止みそうにない。日本でも「暴力」や「男らしさ」、「ジョークと表現の自由」といったさまざまな観点から論じられているが、「黒人社会のコンテキスト」とい...

言葉の暴力

ウィルスミスのビンタ事件が、世界中で問題になっています。

私も、いろんなニュースを見ていますが、彼の行動は、不適切、とする一方、一定の理解を示している、これは、家族を大事にする、とか、黒人差別の問題があるアメリカの特徴だと思います。

ただ、おおむね、暴力は許されない、という論調ですね。

私も、その意見には同意しますし、ウェルスミスも自らアカデミーを脱退した、と言う行動もいさぎいと思います。ただ、一つ、違和感を感じるのは、ジョークとは言え、公然と、彼の妻のことを侮辱した、クリス・ロックのことについては、ほとんど報道されていませんし、これは私が知らないだけかもしれませんが、彼の処分についても何もない、ということです。

日本には喧嘩両成敗、という言葉がありますが、もちろん、ウィル・スミスのやったことは許されませんが、じゃあ、手を出しさえしなければ、何を言ってもいいのか、というとそうではないと思います。

24回殺されたお婆さん

仏教では、言葉で相手を傷つける、という行為も大変恐ろしい罪だと教えられています。

あるお婆さんが100歳を迎えたので、テレビの取材を受けたことがあったんですね。

記者が、100歳まで生きていると、色々楽しいことがあったでしょう。何か思い出話を一つ二つ、教えてください、と尋ねました。

するとお婆さんは、

「100を超えると全部忘れてしまった」

とポツリと言ったんですね。

それに対して、記者が「何か、忘れられない思い出はないですか」となんとか聞き出そう、としました。

するとおばあさんは、「24回殺された、苦い思い出だけは忘れられません」

と言ったと言います。

生放送だったのかな?編集もできず、そのまま流されてしまったので、今でも知らされているわけですが、そもそも、この記者も、全部忘れてしまった、と言った時に、察してやれよ、と思いますが、とにかく、なんとか記事にしなければならない、という自分勝手な都合で突っ込んでしまったんですね。自らも自戒しなければならないな、と思います。

話を元に戻しますと、まだ生存している方が、24回殺された、とはどういうことか、お婆さんがポツポツ話しはじめたのは、

「この年になるまでには、自分の子供が死に、孫も亡くなり、中にはひ孫で死んでしまうものもあった。その葬式のたびに、

『ここの婆さんと代わって居ればよかったのに』

と言われました。

そんなことが24回ありましたから、24回殺された、と言ったんです」

おばあさんは、大人は遠慮して小さい声や、陰で言うけれども、それを聞いた子供は、目の前でも遠慮なく言うから、余計に傷つく、と言っていたそうです。

この問題の大きなところは、言った方は無意識でも、言われた方は死ぬまで忘れられない、と言うことです。

皆さんにも、あの人にこんな酷いことを言われて、もう忘れられない、と言うこと、二つや三つやないでしょうか。

恥ずかしながら私にもあります。

ところが、もっと大事なのは、立場を逆にすると、自分も無意識のうちに他人を傷つけることを言っていないか、と言うことなんですね。

『語殺』という罪もある

『語殺』という言葉もありますが、『言葉で相手を殺す』と言うことですね。

何度も言いますが、もちろん、手を出してしまったウィルスミスには大きな落ち度があります。

『怒りは無謀に始まり、後悔に終わる』と言われますが、

まさに一時の怒りで、今までの栄光を失ってしまいました。

鎌倉末期の禅宗の僧侶、夢窓国士は、ある武士に自分が傷つけられて、弟子たちがいきりたった時に、

『打つ人も打たれる人ももろともに、ただひとときの夢の戯れ』

と歌ったと言います。

『夏草や、強者どもの夢の後』

と言う歌もあります。

この世は夢の世の中だと知ることが、無益な争いをなくす根源かもしれませんね。

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