地獄は本当にあるのか? 2021/10/25(月)

アメリカ・カナダ・メキシコ・ベトナム・ケニアから参加

週の初めは、たいへん慌ただしいです。
朝からケニア対象の会合、
昼は、仏教学と真宗学の勉強の会合
夕方が、スペイン語の会合
そして夜が、世界中のメンバーを対象とした会合。
その合間に、個別に仏教の話をするご縁がたくさんありました。

今日も、アメリカ、カナダ、メキシコ、ベトナム、ケニアなどから、たくさん参加しました。

夕方の、スペイン語の会合では、お経のお言葉について話をしました。
賢愚経(けんぐきょう)というお経に、

諸々の比丘よ、如何なる喩と雖も、如何に地獄の苦なりやを説くこと能わず。

というお言葉があります。

お釈迦様は、広長の舌相、と言って、たいへんな雄弁家でありました。
しかも譬え話の名手で、どんな難しいことでも、譬え話でわかりやすく解説してしまわれる。

そのお釈迦様が、
『どんな喩えでも説けない』
と仰っておられるのは、それだけ、地獄の苦しみがひどい、ということを表されています。

『地獄』とは『ナラカ』苦しんでいる状態を言います

地獄、と聞くと、虎の皮のパンツを履いた鬼がいて、罪人たちを切り刻んで苦しめている、とか、閻魔大王にお前は地獄へ行け、などと指示をされる、そういう世界のことが仏教に説かれていることを想像して、嘲ったり笑ったりしている人もありますが、それは

余方因順

と言いまして、余方、私たちの立場に立って、因順、わかるような表現で説かれている、ということです。

お釈迦様はインドという熱い国にお生まれになられたので、火で焼かれる、とか、体から火を吹いて苦しむ、とかいう表現が多かったのでしょう。

『地獄』というのは、中国語に訳されたときの言葉で、元々インドの言葉では『ナラカ』
『奈落』という言葉はこの『ナラカ』から来たと言われてまして、現在の言葉に直すと『苦界』苦しみの世界、ということです。

仏教では、苦しみは自分の過去の行い(業)が生み出す結果ですから、業報、と言いますが、そういう意味とすれば、この世にも地獄はあることになりますね。

亀井選手の引退の言葉

普通に、借金地獄とか、受験地獄、地獄のような苦しみ、まるで地獄だ、とか使ってます。
この間引退した、ジャイアンツの亀井選手も
「17年間の現役生活、地獄も味わいました」
と言われてました。
いぶし銀で守備も打撃も一流なのに、裏方に徹する、私も大好きな選手の一人で、引退はとても残念です。

誤解されている仏教の言葉

とにかく基本的な仏教の言葉で誤解されているものは非常に多いですが、地獄もその一つだと思います。

もっと詳しく知りたい方は、お尋ねください。

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