子供の教育にいつお金をかけるべきか⑵


子孫への遺産はなにが最高か

前回、子供の教育にいつお金をかけるべきか、という話題で話をした時に、2ちゃんねるの開設者、ひろゆきさんの持論、5歳までに、お金をかけるよりも、親がどちらか働くのをやめる選択をして、子供と一緒に過ごし、非認知能力を高めるべき、というお話をしました。

それに関連して、考えさせられる話がありましたので紹介します。

 三人の学者が外国まで研究に出かけることになった。
 一人の無学者が同行を求めたので荷物係に許した。
 山を越え、河を渡り、砂漠へでると獣の骨が四散している。
「われわれの力を試そうじゃないか」
と三人は、骨を集め工夫をこらし組み立てはじめた。
「もしも、獣が蘇ったら食われはしませんか」
と無学者は心配する。
「愚者は、黙ってみておれ」
 一喝した学者たちは、組み立てた骨に肉や皮をつけると、たくましい獅子ができあがった。
 無学者は恐れて木に登って息を殺して見守っていた。
 生気を吹き込まれた獅子は、目をいからし牙をむいて、たちまち三人の学者を食い殺し何処かへ立ち去った。
 アメリカのハーバード大学で世界的権威の教授、他の仕事が忙しくて肝心の授業にでる時間がない。
 そこでテープレコーダーに自分の講義を吹き込み、学生たちに週一度このテープを聞いて勉強するよう言いつけた。
 教授がたまたま教室の外を通りかかって覗いてみると、中央の机にテープレコーダーが回っており、周囲の椅子の上に小型テープレコーダーが数台置かれていたという。
 子供が学校から帰ってくると、
「テストできた?すぐに塾に行かにゃダメよ」
と勉強勉強とせきたてる。
 遺産を売り払って知育偏重で作りあげた子供のために、家も屋敷も人手にわたり、叫喚地獄の親族会議が続いている。
 大学卒の立派な獅子に食い殺されている人の、いかに多いことか。
 子孫に物質を残すは下等。知育で終わるは中等。徳育をもって最上とする。
 世の親は真の愛を見失ってはなるまい。

  (高森顕徹著『光に向かって100の花束』から)

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