仏教を聞く動機は様々
最近、仏教を聞いている人の中に、
「自分の悩みや苦しみを解決したい」という気持ちが強い人は多いと思います。
・家族の誰かが病気になって苦しい思いをしている
・夫が浮気をしている
・会社で頑張っているけれども、認めてくれない。
・なんとなく同じことの繰り返しでつまらない。
そういう動機で「仏教でも聞いてみるか」という人が多いのではないかと思います。
そういう人が何をするか、というと、
・キリスト教の教会に行って懺悔をする
・祈って、頑張って働きますから助けてください。
・日本ならば、お百度参りなどをする。
そういうことをする人が多いように思います。
人生は苦しみの花咲く木
解決になるか、というと、結論から言いますと「なりません」
一時、病気が治る、とか、浮気がなくなる、とか、借金がなくなるということがもしかしたらあるかも知れません。
しかし、しばらくすると、やがて、また問題が起きてしまう。
その問題を解決しても、また、別の問題がやってくる。
よく『人生は、苦しみの花咲く木』と言われるように、一つの苦しみの花を切り落としても、その養分が、別のところに行くだけで、花は次々咲いてしまいます。
だから、死ぬまで求道。死ぬまで完成がない。
これが、宗教だと思っている人が多いと思います。
そして、そのまま臨終を迎えたら、後生に突っ込んでいってしまいます。
苦しみの根源の解決
どんな人でもいざ死ぬ、となると不安になったり、心が暗くなったりします。
だから、考えたくない、というのが本音ですが、実はそのくらい心(無明の闇、と言います)こそが、苦しみの根本です。
その根本の問題、後生暗い心が、苦悩の根源であることを、明らかに突き止められたのが悟りを開かれたブッダの智慧であり、その暗い心(無明の闇)を破る力が智慧の働きなのです。
平生に完全に救いとられる、この点が他の宗教とは全く違う、これが親鸞聖人の教えです。
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