自業自得に本当に例外はないのか? 2021/10/09(土)

今日は毎週土曜日恒例の、世界中の仏法の友達が集まる会合が、朝昼夜と3回ありました。

特に、スペインで、仏法を伝える活動をしているPさんは、自分の生徒さんから、自業自得の因果の道理について、質問を受けていました。

因果の道理とは、

善因善果・悪因悪果・自因自果

良い結果とは良い運命、悪い結果とは悪い運命。
良い運命も悪い運命も、自分の運命は全て自分の蒔いた種である、ということです。

これを日本では昔から自業自得、と言いますが、この言葉も、
明らかに自分の蒔いた種なのに、他人や会社、世間を恨んだり憎んだりしている人に対して、
「それはあなたの自業自得だよ」
といって諌める。

つまり、自業自得の時もあれば、そうじゃない時もある、という認識だと思いますね。

しかし仏教では、どんな場合も全て、自業自得に間違いない、とブッダの智慧で教えられています。

ところが、Pさんの生徒さんは、例えば
・昔ユダヤ人が虐殺された、とか
・生まれたばかりの子供が虐待を受けている、とか
・国によっては、女性に生まれただけで、暴力を受けたりする、とか
こんなのも自業自得、と言われたら納得できない、ということだそうです。

これは非常に難しい問題です。

確かに、仏教の教えからいえば、自業自得、間違いないのですが、それを直接相手に言ってしまうと、
「そんなひどいことを教える仏教は聞きたくない」
と思ってしまうかもしれません。
(かと言って「それは虐殺する人が悪いね」「虐待する人が悪いね」「暴力を振る方が悪いね」と言っても、仏教聞きたい、とはなりませんし、間違ったことを教えることもできませんので、とても難しいです)

こういう場合、因果の道理と言っても、因縁果の道理であり、縁が悪かったら、悪い結果を受けねばならない場合もある。

また、因果の道理、と言っても、この世だけではなく、過去・現在・未来の三世を貫く因果である、ということ。

『因縁果の道理』と『三世因果の道理』
この二つをわかって貰わないといけないのですが、それには時間がかかります。

ですから、まず、相手の話をよく聞いて、そして共感することが大事です。

仏教の慈悲の精神ですね。
慈悲を表す菩薩である観音菩薩は
『音を観る』と書きます。
『音』とは『声』、『観る』とは『聞く』ということです。
『苦しみ悩んでいる人の声』
『理不尽な運命に憤りを感じている声』
『不当な扱いに怒りを感じている声』
などの声を良く聞く、そして共感するのが仏教の慈悲ですから、その精神を今こそ発揮して、相手の話に耳を傾けてあげましょう、とアドバイスしましたが、納得されたようでした。

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