善導大師という方
今日は私の仏教の先生から、有名な善導大師の二河白道の譬え、について教えて頂きました。
善導大師は、親鸞聖人が七高僧と言って大変尊敬されている七人の高僧の中の一人で、今から約1300年前の中国の方です。
正信偈には『善導独明仏正意』と言われ、善導大師ただお一人、仏の正意を明らかにされた、と褒め称えておられます。
仏とは、今から2600年前にインドに現れた、お釈迦様のことであり、釈迦の説かれた教えを仏教と言います。
正意とは、正しい御意(みこころ)ということですから、お釈迦様が本当に説きたかったこと。
つまり、仏教には何が教えられているのか、ということですから、非常に大事なことです。
1300年ほど前の中国は、唐の時代と言って、中国の歴史上最も仏教が栄えた時代です。
何万という僧侶があり、中には一宗一派を開いたような、世間でいう高僧名僧もありました。
有名なのは、天台宗を開いた天台、持論宗を開いた浄影、三論宗を開いた嘉祥などです。
ところがその時代に、正しい仏教をわかっておられ、明らかにできたのは、善導大師だけである、と親鸞聖人は言われたのですね。
仏教は誰から聞いてもいいのか?
皆さんは、仏教といえば、寺に言って、そこに住んでいるお坊さん(住職、と言いますね)に尋ねたら、大体わかるんじゃないか、と思っておられるかもしれませんが、そうではありません。
それは正しく仏教の教えを知ることは非常に難しいからです。
多くの僧侶のあった1300年前の中国で、善導大師ただお一人だった、と言われていることからも、わかると思います。
善知識から聞かねばならない。
仏教は、善知識、と言われる、正しく仏教を教える先生から聞かねばなりません・
(知識とは、知識が多いとか、知識人、という意味ではなく、仏教では、仏教の先生を知識といいます)
ところが、善知識、と言われる人はそんなに多くありません。
仏の正意を体得された方でなければなりませんし、
その言葉にできない世界を、教学的に間違いなく、教えることができる人でなければなりません。
だから、親鸞聖人も
『善知識にあうことも 教うることもまた難し』
『真の知識にあうことは 難きが中になお難し』
とも言われている通りです。
現在、仏教、と検索すれば、色々な情報や、Youtubeでも発信している人が多々あります。
その人が本当に善知識なのか、よく吟味していかねばなりませんね。
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