言葉の暴力
ウィルスミスのビンタ事件が、世界中で問題になっています。
私も、いろんなニュースを見ていますが、彼の行動は、不適切、とする一方、一定の理解を示している、これは、家族を大事にする、とか、黒人差別の問題があるアメリカの特徴だと思います。
ただ、おおむね、暴力は許されない、という論調ですね。
私も、その意見には同意しますし、ウェルスミスも自らアカデミーを脱退した、と言う行動もいさぎいと思います。ただ、一つ、違和感を感じるのは、ジョークとは言え、公然と、彼の妻のことを侮辱した、クリス・ロックのことについては、ほとんど報道されていませんし、これは私が知らないだけかもしれませんが、彼の処分についても何もない、ということです。
日本には喧嘩両成敗、という言葉がありますが、もちろん、ウィル・スミスのやったことは許されませんが、じゃあ、手を出しさえしなければ、何を言ってもいいのか、というとそうではないと思います。
24回殺されたお婆さん
仏教では、言葉で相手を傷つける、という行為も大変恐ろしい罪だと教えられています。
あるお婆さんが100歳を迎えたので、テレビの取材を受けたことがあったんですね。
記者が、100歳まで生きていると、色々楽しいことがあったでしょう。何か思い出話を一つ二つ、教えてください、と尋ねました。
するとお婆さんは、
「100を超えると全部忘れてしまった」
とポツリと言ったんですね。
それに対して、記者が「何か、忘れられない思い出はないですか」となんとか聞き出そう、としました。
するとおばあさんは、「24回殺された、苦い思い出だけは忘れられません」
と言ったと言います。
生放送だったのかな?編集もできず、そのまま流されてしまったので、今でも知らされているわけですが、そもそも、この記者も、全部忘れてしまった、と言った時に、察してやれよ、と思いますが、とにかく、なんとか記事にしなければならない、という自分勝手な都合で突っ込んでしまったんですね。自らも自戒しなければならないな、と思います。
話を元に戻しますと、まだ生存している方が、24回殺された、とはどういうことか、お婆さんがポツポツ話しはじめたのは、
「この年になるまでには、自分の子供が死に、孫も亡くなり、中にはひ孫で死んでしまうものもあった。その葬式のたびに、
『ここの婆さんと代わって居ればよかったのに』
と言われました。
そんなことが24回ありましたから、24回殺された、と言ったんです」
おばあさんは、大人は遠慮して小さい声や、陰で言うけれども、それを聞いた子供は、目の前でも遠慮なく言うから、余計に傷つく、と言っていたそうです。
この問題の大きなところは、言った方は無意識でも、言われた方は死ぬまで忘れられない、と言うことです。
皆さんにも、あの人にこんな酷いことを言われて、もう忘れられない、と言うこと、二つや三つやないでしょうか。
恥ずかしながら私にもあります。
ところが、もっと大事なのは、立場を逆にすると、自分も無意識のうちに他人を傷つけることを言っていないか、と言うことなんですね。
『語殺』という罪もある
『語殺』という言葉もありますが、『言葉で相手を殺す』と言うことですね。
何度も言いますが、もちろん、手を出してしまったウィルスミスには大きな落ち度があります。
『怒りは無謀に始まり、後悔に終わる』と言われますが、
まさに一時の怒りで、今までの栄光を失ってしまいました。
鎌倉末期の禅宗の僧侶、夢窓国士は、ある武士に自分が傷つけられて、弟子たちがいきりたった時に、
『打つ人も打たれる人ももろともに、ただひとときの夢の戯れ』
と歌ったと言います。
『夏草や、強者どもの夢の後』
と言う歌もあります。
この世は夢の世の中だと知ることが、無益な争いをなくす根源かもしれませんね。
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